
定価各1,000円
第2巻 幸せを呼ぶ言葉
第3巻 ハイと言う宝物の言葉
第5巻 喜びの人生に出会う言葉
第6巻 感謝の心に包まれた言葉
毎日毎日の人間としての日々の積み重ねが花開く時期になってまいりました。
これより先の世は理屈ではありません。自分の心を正していきさえすれば、道が開ける時代でございます。
明るく素直に正直に、一人ひとりのお方のお心が清まっていくならば、必ずや今以上の幸せを頂かれるはずでございます
宗教法人根本山宝満堂
昭光
世の中を照らす
光は我が心にあり
宝満堂がどういう経緯で誕生したのか、ということを概略でお伝えしましょう。
昭和の終わり頃、山下陽美子という一人の若い主婦がいました。彼女は平凡で幸せな結婚生活を送っていました。ところが、子どもが成長するにつれて次々と身辺に困った問題が起き、また自分も治りにくい病気にかかったため、人に勧められるままにある宗教家を訪ねました。するとその人が言うには「あなたは並みの人間ではない。神仏とつながる資質がある」と・・。思ってもいなかったことを言われて彼女は驚きます。
そして、平成元年、山下陽美子は本当に神の御言葉を聴くようになりました。やがて、神さまが命じるままに、世のため人のために働こうと彼女は決意します。
自分がどんなに辛いときでも、病気の人があれば治す、困っている人があれば解決法を教える・・この゛不思議な能力を持つ山下さん゛の評判はしだいに広まり、平成2年の初め、福岡県粕屋郡篠栗町に4畳半一間の御導き所を開くに至りました。
翌年には一軒家を借りて須恵町佐谷に移転。しかし、そこも多いときは一日二百人という人であふれ返り、平成6年には須恵町須惠に御堂が建てられました。そしてさらに発展して平成12年には須恵町上須惠、若杉山の南麓に『根本山 宝満堂』という大きな御堂が完成したのです。
いま宝満堂は午前5時から夕方まで毎日何百人もの人たちが出入りしお参りし、気持ちを浄化する、みんなの「こころの故郷」になっています。
教祖 山下陽美子
宝満堂の毎日は苦難や借金や病気を“きっかけ”にして自分自身の心の在りように気づき、それをあらためることによって、まったく新しい、嬉しい、輝かしい人生を手に入れようという、自己改革のご修行の場です。
毎日、午前5時半からお祈り。6時からお説法が行なわれます。
その後は“法座”の輪で個人的な悩みや質問などをみんなで語り合い、法座主の助言をもらう時間がゆっくりと流れます。
お昼には宝満堂の農園で採れたお野菜のてんぷらなど美味しい自家製弁当が待っています。
陽美子先生から『掃き行』をいただいた方は境内を掃きながら、『拭き行』をいただいた方はお堂を拭きながら、自分の心に気づかせていただくのです。
毎日毎日の人間としての日々の積み重ねが花開く時期になってまいりました。
これより先の世は理屈ではありません。自分の心を正していきさえすれば、道が開ける時代でございます。
明るく素直に正直に、一人ひとりのお方のお心が清まっていくならば、必ずや今以上の幸せを頂かれるはずでございます
不安や悩みの多い現代社会をどう生きるか?
神様仏様は、それをどう教えて頂いているのか?
人と会ったり話をしたりすることが面倒くさくて、一人でするのが当たり前になっていましたが、教祖様のお導きのお蔭様で…。
(女性・53才)
お説法が楽しみ
私が幼い頃、兄は事故で寝たきりの生活になり、25年間、母は兄の世話にかかりっきりでした。私はずっと寂しい思いをしてきたせいか、人と会ったり話をしたりすることが面倒くさくて、何でも一人でするのが当たり前になっていました。
今は両親も亡くなりましたが、家とアパートを残してくれていたので、生活に困ることはなく、平々凡々とした毎日でした。
そんな時、知り合いの方からお堂に誘って頂き、教祖様のお説法を毎日拝聴するうちに心がワクワクして楽しみになりました。
人に尋ね聞いていきましょうね
最近アパートの住人のことで困ることが多くなりお尋ねさせて頂きました。
教祖様より「今まで何一つ人に相談していませんね。尋ね聞いていきましょうね」とお導き頂き、それからは意識して人に尋ねてみようと思いましたが、今まで何でも自分一人で決めてきたので、誰に何を相談するのか全くわかりません。
「御先祖様のお蔭様で今の生活ができるのでしょう。先祖供養と土地の祓いを一生懸命に頑張ったら、智慧を頂けますよ」と教祖様に仰って頂き、毎月御祈祷を頂いております。
もう一度丁寧に!
先日、アパートの壁が壊れ修理を頼んだら、多額の修理代でしたので、どうしたものかと、教祖様にお尋ねしました。
「親戚の方に相談してごらん」とお導き頂き、私は早く解決したくて、従兄弟にすぐに相談し、不動産屋に一緒に行ってもらいました。そのことを教祖様にお伝えすると、「従兄弟に相談しようと思いますがどうでしょうかと、もう一度丁寧に尋ね聞くことが大事ですよ。頭を下げて尋ね聞くことで神様が働いて頂き、ものごとが思い通りになってきますよ。今まであなたが供養やお祓いを頑張ってきたお蔭様ですね」と教えて頂きビックリしました。
「そうか、それが『頭を下げて尋ね聞く』ことなんだ!」と思うと、すごくすごく嬉しくなり、自分の間違いを教えて頂くと、こんなに心の中の霧がパーッと晴れスッキリするんだと感動しました。
心が晴れると大きな声で話せるようになり、自分でも驚いています。
一つひとつ教えて頂くことが喜びに
自分の心が明るくなると、不思議に人様の言われた通りしてみようと素直に思うことができました。すると、スムーズにことが運びました。
教祖様との出会いがなければ、人との関わりを避け、反発ばかりして卑屈になって生きていたと思います。教祖様より一つひとつ教えて頂くことが光となり、喜びとなり、明るい人生を歩き出せた気がします。
本当にありがとうございました。
不安や悩みの多い現代社会をどう生きるか?
神様仏様は、それをどう教えて頂いているのか?
父の経営する会社に弟と入社していましたが、私に病気が見つかりました。
(女性・53才)
痛くて眠れない日々
父の経営する会社に弟と一緒に入社していました。しかし、母が病気がちなこともあって、弟が結婚してからは、弟夫婦が会社経営を、私が両親の世話をするということを話し合いで決め、経営のことには一切関わらなくなっていました。それと共に顔を合わせる機会が少なくなっていました。
ところが、私に病気が見つかり、治療に専念しなくてはならなくなりました。私は良くなりたい一心で、いい病院があると聞けば、泊りがけで遠方の病院を訪ねて行っていました。痛くて眠れない日々が続いたので、以前ご縁があった宝満堂のことを思い出し、思い切ってお尋ねをさせて頂きました。
幼い頃の記憶が蘇ってきた
教祖様からは「ご両親が地域のために一生懸命にご尽力なさったのでしょうね。氏神様が働かれますよ。遠くの病院ではなく、地元の病院で看て頂きましょう。助けてもらいますよ」とお導き頂きました。
父にそのことを話すと、とても喜び「病院通いをしやすいように、市内に家を借りたらいい」と言ってくれました。私もその気になってアパートを探していましたら、教祖様より「弟さんには相談しましたか」と言われました。私は疎遠になっている弟に相談するなど全く考えていませんでした。しかし「弟」と言葉を聞いた途端、幼い頃の記憶が一気に蘇ってきました。
両親が忙しく、家の中で弟と2人で留守番をしていたこと、写真に写っている姿は、必ず私が弟の手を引いている姿ばかりだったこと、弟がいたから寂しい心を癒すことができたことなど思い出し、涙があふれ出てきました。
「姉貴、具合はどう?」
久しぶりに弟と会話することにためらいを感じながらも電話をしてみました。びっくりした様子がうかがえましたが、第一声が「姉貴、具合はどう?」と私を気遣う声を聞いて、私のことを心配してくれていたんだと、嬉しさでまた涙がこみ上げてきました。治療経過を話すと、弟の方から病院の近くに家を借りたらとも言ってくれました。
私と弟が疎遠になったことを父も気にしてくれていたようで、電話で会話したことを父に話すと、とても喜び安心した表情でした。
教祖様より「固くなっていた心が解けてよかったですね。心が温かくなったら、病気もいい方に向かいますよ」と仰って頂き、病気を治すためだけではなく、家族が和になるための教祖様のお導きを頂くご縁だったんだと思いました。お蔭様で、以前副作用が恐くて飲めなかった薬も勧められ飲んでみると、副作用も出ず、治療に期待が持てるようになりました。
教祖様、私の心を開いて頂き、本当に本当にありがとうございました。
宗教法人根本山宝満堂
所在地
〒811-2114
福岡県糟屋郡須恵町上須恵63-5