おかげ話

心に響く光のお説法

陽美子先生の体験

 

 

私の信仰の原点となる出来事
―自分の心にお詫びをする―

 

「絶対に幸せになるから大丈夫!!」 

 開山する以前の信仰の話です。私の信仰の原点というべき出来事でした。
 友達が、ご主人のことで悩んでいました。私にできる布教があると思って、毎日、友達に「元気!」と電話しておりました。そんな日々が七年位続いたでしょうか、ついに「私もあなたのお参りしているところに連れて行ってくれる?」と言ってくれたのです。私は嬉しくて嬉しくて、「この教えを学んでいけば、絶対に幸せになるから、大丈夫、大丈夫」と励ましておりました。
 一緒にお参りしてしばらく経ったとき、「私、今まで主人の事で悩んでいたけど、信仰のお蔭で主人が変わったのよ!!あなたが誘ってくれたお蔭で、よかったー。ありがとう。早くお参りしていればよかった」と言ってくれたのです。

 

心の中は違う羨む心 

 私は、お互いの家が幸せになるために、一生懸命に信仰の学びをしてきたつもりでした。でも、友達が良くなったと聞いた途端に、一緒に喜べると思っていましたが、私の心の中は違って「何でー」という、モヤモヤする心が湧いてきました。

 もちろん、「よかったね」と言って笑っていましたが、心の中では「今、信仰を始めたばかりなのに、何でそんなに早く変われるの?私の家はまだまだ苦があるのに、何であなたの家は良くなるの?」「この前まで、ご主人のことで悩んでいたのに…」と自分でもびっくりするくらい、汚い心が湧き出てきました。

 私は、そのとき初めて、「私には、こんなに汚い心があるんだ。顔ではよかったねと喜びながら、心の中は違う羨む汚い心が自分にあるんだ」ということに気づかせて頂きました。

 そう思ったら、恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちで一杯になったことを今でもはっきりと覚えています。

 

大きな大きな宝の心を 

 私は友達のお蔭で、その時に決心することができました。「神様、私という人間は、すぐに人のことを羨ましいと思います。私は人の喜びを一緒に喜べない人間です。すみません。その代わり、これからも一つでも自分の欠点に気づくことができますようにお願い致します」このようにお詫びをさせて頂いています。

 信仰のご縁で、自分の心を正直に素直に見つめて、自分の心にお詫びをするという事を気づかせて頂いた初めての体験でした。本当に私の人生に大きな大きな宝の心を頂いたと思います。

 自分の欠点に気づくって、ありがたいですね。自分が「できる」と思うと、頭が下がりませんが、できないから「人は偉いなー」って思えるんですよ。「できません!!すみません!!」と心に素直に頭を下げると、神様仏様から智慧を頂けるんですよ。

 導いた信仰の子から自分の心、自分の姿を気づかせて頂き、自分の欠点を教えて頂くことが、本当の信仰のお蔭であり喜びであるという、私の信仰の原点となる出来事でした。